(we don’t have) To be confident,

 

大好きな同期が、自信を失くして落ち込んでいて、

その刹那、沢山の言葉が僕の脳の小さな宇宙を駆け巡って、

そこから何を選んで、彼にかけてあげるべきか迷っているけれど、

そんな真っ当な条件反射をよそに、僕はまた、考える。

 

もう手垢のついた議論だけど「根拠のない自信」と「根拠のある自信」に分けて考えよう。

「根拠のある自信」はわかりやすくて、実績とか、肩書きとか、あるいは評価とか、

そういうはっきりしたものに軸足が置かれているような自信。

「根拠のない自信」はそうでないもの、なんかよくわからないけど湧いてくる自信。

 

世の中の多くの人たちはこの「根拠のある自信」に支配されている。彼もそう。

至極、誠実な自信だと思う。きちんと自信の理由を説明できるし、

自信を保つために努力することもできる。方向性が明確だから。

それに対して「根拠のない自信」て、人によってはすごく嫌かもしれない。

「なんでそんなに自信満々でいられるの?」って、誰かに嫌味を言われたり、

それがきっかけで、攻撃されることもあるかもしれない。

 

だけど、「根拠のある自信」て実はすごく厄介だ。

だってその根拠になっているものが崩れ落ちた瞬間、

たちまち自信も崩れ落ちてしまうから。立ち直れなくなるから。彼みたいに。

そして生じるのは「根拠のある不安」

さあ不安を払拭するための辛く険しいゲームの幕開けだ

 

一方、「根拠のない自信」て最強。

失敗しても、誰にも相手をされなくても、「自分は絶対に大丈夫」って信じて

ずっと前を向いて生きていくことができるから。

バカと天才は紙一重、とはよくいったものだけど、

それってバカも天才もこの「根拠のない自信」があるから。

 

と、ここまではいつもの話で、

若い頃はできるだけ「根拠のない自信」を持てばいいやんって思ってた。

だけど、漸く気付いてしまって、

凡人にはそれは無理よ笑。だってバカでも天才じゃないもん。

 

だったら、「根拠のある自信」が「根拠のある不安」になる前に逃げるなり、

「根拠のある不安」が生じた時にどう対処するのか考えた方が賢明じゃない?

自信なくすくらいだったら、(ほどよく)手を抜くのもありだし、

自信なくなったって生きていけるんだから、開き直って行こうぜ、って。

 

彼に、その話をしようかと思ったんだけど、

事態が悪化することを恐れて、

結局当たり障りのないことしか言えなかった。

ダメダメだなあ、と思う。

 

さて、因みに僕は、バカでも天才でも凡人でもないです。

僕を支配しているのは「根拠のない不安」。

「根拠のある自信/不安」の比じゃないレベルでとてもとても厄介。

だって何してもずっと不安だからね。

 

でも、僕ももうすぐ四半世紀を生きようとしている。

この「根拠のない不安」ともそれなりに上手に付き合えるようになってきた。

だから、友よ、「根拠のある不安」なんかに怯える必要なんてないよ。

冷たい雨もいつか止んで、雲間から溢れる日差しに虹が輝く

 

し、仮に雨が止まなくてもいいじゃない。

その時は、僕と一緒に、ぬかるんだ大地を歩こう?

生憎傘は持ち合わせてないし、2人でずぶ濡れになって、

ゲラゲラ爆笑しながら、薄暗い世界を冒険しよう?

 

悪くないでしょう?

世界平和

 

"How can we accomplish world peace?"

That was the question he asked me at the very end of the assessment test.

 

その場では、だいぶ当たり障りのない発言をしたような気がする。

自分と異なる他者に対して寛容であることが何より重要で、

そのためには異質なものや、それにどう対処するべきなのかを学ぶ必要があり、

だから教育はとても大切である、みたいな話を。

 

歴史の教科書は史実についてニュートラルでなくてはいけなくて、

この戦争は誰が悪くて、何がダメで、とか、善悪の二項対立ではなくて、

どこでわかりあえなかったのか、妥協するためにはどうすればいいのか、とか、

そういうことを学んでいかなければならない、みたいな話を。

 

でも、果たしてそうかなあ、って思っちゃって。

だってそもそも、自分と異質なものを受け入れる寛容さが大事とか言いながら、

「世界は平和にならなければならない」っていう共通の合意が前提だし。

そもそも何をもって「世界平和」を定義するのかにもよる。

 

愛があれば世界は平和だと、誰かが言っていたけど、

誰かへの愛が、他の誰かを傷つけてしまうことだってあるし、

そもそも何度も繰り返されてきた戦争も、虐殺も、

あるいは環境破壊も、全部何者かに対する愛が原動力だったんじゃないかな。

 

そしたら、僕らは愛のために争ってることになるんだね。

なんだかロマンチック。

 

***

 

僕は、世界は平和にはならないと思う。

その是非は抜きにして。

 

果てしなく続く混沌の中で、

たったひとつでも、愛し抜ける何かを見つけられればいいね。

沢山の人を傷つけて、世界中を敵に回したとしても、

それでも愛し抜きたいと思える、何かを。

disparity

 

個人的には、生きている以上、

人間である以上、

そして人間が社会的動物である以上、

格差は厳然と存在すると思っていて。

 

とりあえずここからの話は、

格差とは本質的に人間に内在するものであるよ、

その是非によらず、ね。

と、最初に断っておくよ。

 

基本的に人間社会はこの「格差」という表現に対して、

多かれ少なかれ否定的な印象を抱いてきたのだと思う。

だから、大きくそれに対するアプローチは2つあって、

1つはそれを隠蔽することで、

もう1つはそれを正当化すること。

 

ちょっぴり具体的に話すね。

格差の隠蔽というのは、所謂宗教だったり思想だったり、がメイン。

一部のキリスト教世界では(大きい言葉を使っていますゴメン)

神の御前に人は平等であり、誰もがパラダイスへの切符を持つと説く。

 

則ち、現世での厳然たる格差も、元来平等だった人間に対し神が与えたモノであり、

霊的な世界では人類は平等であるし、そっちの方がだいじ。

だから現世では立場に関わらず隣人を愛しましょうね、

祈り続ければ次の世界で幸せに暮らせますよ、という立場。

 

格差の正当化というのは、インドのカースト制度などが好例かな。

詳細は知らないのだけど、おそらくここにも宗教的なものが絡んでいて、

ひとは生まれながらに貴賤があって、でもそれは絶対神が与えたモノだから、

致し方ないですよね、それぞれ頑張りましょうよ、っていうスタンス。

 

すなわち、厳然たる格差は本質的に仕方ないことだし(正当化)

それにガタガタ言っても無駄でしょ、受け入れて、っていう立場。

 

いずれにしても、外的な要素(絶対神、人間が与り知らぬ何か)に依拠している点は、

共通しているんじゃないかな~と思うわけ。

 

で、現代社会はそれを否定するところから入っているわけですよ。

そして歴史上初めて(知らんけど)3つ目のアプローチに突入した。

それは、格差の隠蔽でも正当化でもなく「是正」

すなわち、格差を無くしていきましょう!イエイ!っていう立場。

 

出身階級や性別に関わらず、雇用の機会は平等に与えましょう、とか。

人種によって給料変えちゃだめよ、とか。

そういうカンジで、今まで格差が生じていた高低をそれぞれグルーピングして、

頑張ってその間を縮めてこうよっていう作戦に出たわけです。

 

ところが、依然として格差は無くならないでしょう?

お金持ちもいれば貧乏な人もいるし、

豊かな生活を送る人もいれば、明日の食事に困窮する人もいる。

もっと突っ込んだ言い方をすると、

真っ当に生きていける人と、生きていけない人がいる。

 

もちろん、未だに目に見えない形で生まれや性別によって差別されることはあるし、

それについてはまた別の回で考察しようと思うのだけど、

たとえ究極的にそういう要素を排除することができたとしても、

格差は厳然と存在し続けると思う。

 

だって、ヒトは生まれながらに全員違っているんだもの。

それは、わかりやすい能力、だけではなくて、

嗜好やモノの見方、考え方、性格とかも含めて、全て。

その結果、どんなに努力しても格差は生じ続ける。

 

そしてそうした格差に対して「それは格差ではないよ」というし、

「自己責任だ」ともいう。

結局格差を是正するという第3のアプローチの果てには、

「隠蔽」と「正当化」という旧来の方法に戻るという帰結しかない。

 

でね、だったら個人的にはね、

最初っから外部に絶対的装置を拵えて、

人間の思考の範疇を凌駕するどこかに責任を置いてあげた方が、

生きていくのがすごく楽なんじゃないかなって、思ったりする。

 

だって、自分が頑張ってるのに報われないのを

誰かのせいにできるじゃんね。

 

When I talk about love or something like that,

 
Case 1
 
彼女は、愛を確かめるのが怖いらしい。
 
昨年の早い時期に、前の彼氏から割と酷い振られ方をして。
流石に暫くは立ち直れないかなと思っていたりしたのだけど、
あっさりと新しい彼氏を作ってしまった。
 
が、彼女曰く、そこに愛があるか確かではないらしい。
 
「私たちって愛し合ってるよね」って、
言葉に出して確認してしまったら、
何かが崩れ落ちてしまいそうだから、
気づいてしまいたくない事実に気づきそうだから、だって。
 
彼女、今の彼氏をすごく愛してて。
それは、まあ見てればすごいわかるんだけど。
でもだからこそ、喩え曖昧な関係でも、
彼の隣にずっといたいって、思ってて。
 
だから、
「それって本当に付き合ってるの?」
とは、僕はどうしても聞けない。
というか、どうしても聞かない。
 
それを口にしてしまえば、
彼女と彼の関係も崩れ落ちてしまうけど、
彼女と僕の関係もきっと崩れ落ちてしまうから。
 
そしてどうしても胸が苦しくなった夜に、
僕に電話をかけてくる彼女を、
そしてそれに出てしまう自分を、
1秒だけ、赦せなくなってしまう。
 
ほんの、ほんの一瞬だけど。
 
***
 
Case 2
 
彼女は、答えが出ている問いを繰り返す。
 
これも、よくある話なんだけど、
最初から答えありきで相談を持ちかける人。
彼女はそういう類の人で。
 
どっちと付き合うべきか、とか。
別れるのがいいか、そのままダラダラするか、とか。
あるいは、パスタにするかピザにするか、とか。
 
わかりやすいくらい、結論が見えているので、
僕はその結論が最適解に見えるかのように、
議論を、話題を誘導する。
時に揺さぶりをかけつつ、でも最後に救いの手を差し伸べるように。
 
彼女、僕に相談するテイで、
結局自分がいかに恵まれているかを確認したいだけで。
自分がいかに幸せかを噛みしめたいだけで。
そういう意味じゃ僕は都合のいいサンドバッグ。
 
ただ、そういうことをしたがる人って、
本当は全く恵まれても、幸せでもなくて。
だから何とか誰かから、
恵まれてるね、幸せだねって言って欲しくて、
だから僕を呼ぶんだろうなって。
 
だから、
「本当に恵まれてるの?幸せなの?」
とは、僕はどうしても聞けない。
というか、どうしても聞かない。
 
彼女を小洒落たカフェで泣かせるのは不本意だし、
そんなことを言えば、もう会ってくれなくなる。
それはもっと不本意だから。
 
そして僕は、また、ほんの一瞬だけ、
自分への苛立ちを禁じ得ない。
 
***
 
Case 3
 
彼は、最愛の人に捨てられて、壊れてしまった。
 
心から愛していたと思うよ。
その人がいなくなった刹那、
その身が朽ち果てていくくらいに、
世界が突然色を変えてしまうくらいに、心から。
 
彼は、その人を失ってから、
あまりご飯が食べられなくなって、
薬がないと夜も眠れなくなって、
医師に止められてるのに、酒と煙の量が増えて。
 
その人がいなくなったから、
生きる目的がなくなってしまったのだと、
物憂げな目で虚空を眺めながら、
深いため息をつく。
 
僕は都合が良いので、
そんな彼の話を、うんうんと聞いて。
なんならちょっと皆の前で華を持たせて、
少しでも自尊心を回復できたらとか思ったりして。
 
彼も都合が良いので、
僕を攻撃したり、否定したりすることで、
自分の優位性を再確認してみたり、
それで少しは気持ち良くなったりしてるはず。
 
だから、
そんなに愛した人をどうしてもっと大切にしてあげられなかったの?」
とは、僕はどうしても聞けない。
というか、どうしても聞かない。
 
彼と殴り合いのケンカをする気はないし、
そんなことを言ってしまえば、
きっと僕のことを一生赦してくれないと思うから。
 
そして僕も虚空を見つめて、
なんて虚しいんだろうって、
彼とは本当の友達にはなれないなって思う。
 
彼と「は」じゃない、彼と「も」だな、とも。
 
彼、僕を友と呼んでくれたのに。
 
***
 
Case 4
 
僕は、昔から一つのものを追いかけるのが苦手だ。
 
Case 1〜Case 3の各人、
みんな傷ついてたし、辛いし、しんどいし、
だけどみんなたった1人の為に、
全てを投げ打ってるなって思う。
 
僕は、そういうの昔から(高校生くらい)苦手で、
だって、みんなみたいに壊れてしまいたくない。
この若くて重要な時間を、
たった1人にかき乱されたくないから。
 
人間周りだけでなく、その他だってそう。
何かが立ち行かなくなった時にすぐに乗り換えられるよう、
何かがダメになった時言い訳できるよう、
勉学にも課外活動にも複数勤しんだ。
 
文武両道って、僕みたいに都合の良い人間のためにあるんだと思う。
本当にその道を極める者は、二つ同時に進んだりしないもの。
 
そうして僕はどれも平均的に結果を出してきた。
ビジネスだったら完璧な戦略。
いまどの市場が崩れ落ちても、
経営がヤバくなることはないのだから。
 
だけど、最近、時々すごく退屈に思えて、
そんな自分が一番惨めに思えて。
色んなものを大切にしてきたつもりで、
全てを無碍にしてきたのかもしれない。
 
だって「大」きいものを何も「切」らずに、
全部かかえて生きてきたのだから。
 
***
 
辛くて、しんどくて、幸せな彼ら。
楽で、気持ち良くて、不幸な僕。
最後に後悔しないでいられるのはどっちかな。
 
そんな不毛なことを考えている暇はないのだけどね。
 
 
 

Somebody like me,

 

自分のことを真っすぐに愛せないことによって、

僕の人生はかなり有利なものだったと思う。

 

もちろん、喩えば世の中がAとBに大きく分断できるとして、

Aが愛せないからといってそのカウンターパートのBが必ずしも愛せるとは限らないけど、

少なくとも僕の人生では、今のところそれが成立してしまっていて。

 

僕が出会ってきた人やものは全て、僕の対極にあるものばかりで、

そういうものに対する愛情は、その起源をたどれば全部自己嫌悪だった。

自己に対する抗体が、それはそれは沢山産生されているから、

恒常的に体内に異物を入れ続けないと、たちまち全身の臓器が炎症を起こしちまう。

すなわち、僕は自分自身に対する憎しみや苛立ちや拒否感を、

誰かへの愛情に昇華して、ごまかしごまかしここまで生きてきたのだと思う。

 

そして幸運なことに、僕と同じタイプの人ってまずいないんですわ。

少なくとも僕の二十数年間の人生の中では。

その結果、ほぼ全ての人を愛することが、赦すことができたわけ。

それって滅茶苦茶ラッキーなことだと思いません?

 

ところが、先日、

遂に(厳密には過去にもあったのかもしれないけど)僕は、

僕にかなり近しい誰かに出会ってしまったのかもしれなくて。

 

ああ、参ったな、って。

僕は他の人を愛するように彼のことを愛せないって直感してしまった。

それどころか、まるで真っ暗な部屋の中で独り自分を攻撃するように、

血液中の異物にマクロファージやリソソームが反応するように、

彼を攻撃してしまったんだよ、まだ出会ったばかりだというのに。

 

友人たちは、僕が頭おかしくなっちまったんだと言って、

確かに客観的に見て、僕はだいぶ頭おかしい奴だと思う。

だけど、彼を見てるとまるで自分の中の嫌いな、生理的に受け付けない部分が、

全部具現化して、服を着て歩いて、言葉を発しているようで、

思い切りねじ伏せてしまいたい衝動に駆られてしまうんだ。

 

家に帰って、疲れ果てて僕はベッドに倒れこんで、

もう二度と彼には会わないと固く心に誓ったんだけど、

ポケットの中で震えた小さな液晶が、

彼からのメッセージの受信を告げて。

 

「今日は会ってくださってありがとうございました。

 最後ちょっとだけ微妙なテンションになりましたが、

 俺は平気なんで笑。また誘ってください。」

 

既読をつけないように気をつけて、

僕はそっとアプリケーションを閉じて、

そして深い深いため息。

 

なんなんだコイツ。

初対面のやつに、あんなひどいこと言ったのに、

こんな丁寧にライン送ってんじゃねえ。

心なしか文面に自分の影を見てしまうのも嫌だ。

 

結局、彼にはまだ返信していない。

うかうかしてるとまた攻撃してしまいそうだから。

 

決定的に違っている部分があって。

彼は僕と違って、きちんと自分のことを愛していると思う。

わからん。瞳に若干の陰りがあったのも事実だから、

単純にそう見えただけなのかもしれないけど。

 

いや、でも多分そう。

だから自分と同じ匂いがする僕のこと、

あれだけ真っすぐに見ることができたんじゃないか。

手厳しい攻撃を喰らっても、優しくできたんじゃないか。

 

とかく、あの時の僕はカッコ悪かった。

いつも身にまとっているものが全部剥がれ落ちて、

カッコ悪い本体が無防備に露出してしまった。

その点、彼はすごくカッコよかったなあ、と思う。

 

 

と、ここまで考えをまとめた今、

ああ、大丈夫だ、と思えた。

僕と彼の「決定的に違っている部分」を発見できて、

なんだかかなり穏やかな気持ちになったからだ。

「決定的に違っている部分」を愛することができると、

ほんの少し希望を持つことができたからだ。

 

なんだ、僕と彼、全然ちがっているじゃないか、ってね。

ああ、大丈夫、もう一度会ってしまっても、

きっと今日のこの気持ちを思い出せば、穏やかでいられる。

他の人たちと同じように優しい言葉を囁くことができる。

綺麗に仕立てた服を身にまとい、醜い本性を隠しきれる。

 

僕は大丈夫だ。

 

彼に返信するために手に取ったスマートフォン

一瞬だけ、液晶に映る自分と目が合う。

僕はもう一度だけ自分に言い聞かせる。

 

僕は大丈夫だ。

ことばのことばかり。

 

最近、また割と、言葉ってなんて面倒なものなんだろうって思うよ。

 

 

張り裂けそうな胸の痛みだとか、

行き場のない怒りだとか、

溢れだして仕方がない愛しさだとか、

誰かに触れる刹那の歓びを、

 

僕ら、一生懸命、言葉にしようとしてるのに。

一体全体どうしてわかりあえないんだろう。

語彙とアナロジーの限りを尽くしても全然足りなくて。

声を張り上げても、泣き叫んでも全然届かない。

 

あるいは、真摯に耳を傾けているつもりなのに、

あらゆる空気の振動を逃さないように集中しているのに。

どうしてだろう、誰かの言葉が全然伝わってこないんだ。

僕の心は1ミリだって震えないんだ。

 

 

ハタチくらいの頃から、僕は行ったり来たりで。

自分の言葉に絶望したかと思った次の刹那、

一縷の望みを誰かの言葉に見出して思い直して、

そして、また深い絶望に襲われて。

 

いい加減このループを卒業したいなあと思うのだけど、

どうしても僕は期待してしまって。言葉にも、人間にも。

 

ただ、たったひとつだけ言えることがあって。

誰かが何かを伝えようとすることは、

それだけでものすごく心を揺さぶることができることで。

少なくとも、僕の心は揺さぶられているのだと思う。

 

1ミリも心が震えないと言ったけど、

誰かの言葉、それ自体で震えなかったとしても、

その言葉を発する口の動き、表情、瞳、声のトーン、仕草、

そういうものが僕の心をいつもガンガン揺さぶるんだ。

 

で、そんな時僕は、さらにその言葉の指す事象を100%理解しようと努力するか、

ないしは理解することを諦めて、その心の振動のままにその誰かを抱きしめるか、

そのどちらかか両方かしかできなくて。

そうすると言葉って何なんだろうな、って思う。

 

 

そして、逆もまた然り、ということで。

 

僕は誰かの何気ない言葉や、何の気なしに発した一言で、

ガンガンに心が揺さぶられてしまうこともあって。

全然そんなことを意図していなかったのに、って、

後から言われて気づくのだけど。

 

ネガティブなことも、ポジティブなこともあって。

その、何の気なしの一言で誰かを殺すこともできるし、

絶望の淵から拾い上げることもできる。

なんて扱いづらい代物なんだって思うよ、言葉って。

 

だけど、僕らは、そうして誰かの言葉に救われた瞬間を、

決して忘れることができないのも事実で。

そして、僕の場合は、そうして誰かを救った瞬間も、

割と鮮明に覚えていたりするわけで。

 

だから、結論、僕は言語と対峙することをやめようとは思わない。

きっとこれからも、僕は100の事象を100で伝えることができない。

どんなに努力しても、追いかけても追いかけても、

厳然とそこに存在する事実を完璧に陳述することはできない。

 

だけど、僕が発した言葉が、

誰かの命を救うかもしれない、

世界に小さな変革をもたらすかもしれない。

それって、とてつもなく素敵なことじゃないかな。

 

そんな淡い期待を胸に、

僕は今日も、友に他愛ない話を投げ、

掌のスクリーンに指を滑らせ、

そして、キーボードをリズミカルに叩く。

 

僕は自由だ。

忘年会

 

誰かの悲しみや、痛みを理解したいと思うことは

優しさとは限らないのかもしれない。

 

僕は、どちらかと言えば人の些細な変化に敏感な方だと思う。

例えば彼女が、さっきからしばしばスマートフォンを気にしていること、

ほんの少し酒のペースがはやいこと、

隣に座った人の体に触れる手がいつもより切なげなこと。

 

多分、なんかあったな、って。

僕は割とすぐにわかってしまって。

それでも彼女は、平静を装うのが上手だから、

いつも通りニコニコしてはいるのだけど。

 

そんな時僕は、彼女の痛みを知りたいと思ってしまうのだけど、

そしてそういう感情をずっと、優しさだと思っていたのだけれど、

どういうわけか今夜は違っていて。

 

きっとそれは、優しさの皮をかぶった、

相手の痛みを利用して深い関係を築こうとする打算や、

相手の痛みを握っておきたいという支配欲や、

そういう感情に近いのだと思う。

 

それに気づいてしまった刹那、僕は自分の醜さに辟易する。

けれど一方で、目の前の彼女は相変わらずニコニコしていて。

彼女もまた、誰かの繊細な変化を読むのに長けているから、

ひょっとしたら、僕の今の心情も読まれているのかも。

 

彼女に心の中で訴える。

むやみに詮索したりしないよ。

言いたいことは言えばいいし、

言いたくないことは言わなければいいよ。

 

カラオケボックスの狭い部屋の中、

賑やかな音楽と、充満した酒と煙草の匂い。

僕らのそんな心情の機微なぞ知る由もない誰かが、

「今夜は朝まで飲もうぜ」と叫んだ。