ことばのことばかり。

 

最近、また割と、言葉ってなんて面倒なものなんだろうって思うよ。

 

 

張り裂けそうな胸の痛みだとか、

行き場のない怒りだとか、

溢れだして仕方がない愛しさだとか、

誰かに触れる刹那の歓びを、

 

僕ら、一生懸命、言葉にしようとしてるのに。

一体全体どうしてわかりあえないんだろう。

語彙とアナロジーの限りを尽くしても全然足りなくて。

声を張り上げても、泣き叫んでも全然届かない。

 

あるいは、真摯に耳を傾けているつもりなのに、

あらゆる空気の振動を逃さないように集中しているのに。

どうしてだろう、誰かの言葉が全然伝わってこないんだ。

僕の心は1ミリだって震えないんだ。

 

 

ハタチくらいの頃から、僕は行ったり来たりで。

自分の言葉に絶望したかと思った次の刹那、

一縷の望みを誰かの言葉に見出して思い直して、

そして、また深い絶望に襲われて。

 

いい加減このループを卒業したいなあと思うのだけど、

どうしても僕は期待してしまって。言葉にも、人間にも。

 

ただ、たったひとつだけ言えることがあって。

誰かが何かを伝えようとすることは、

それだけでものすごく心を揺さぶることができることで。

少なくとも、僕の心は揺さぶられているのだと思う。

 

1ミリも心が震えないと言ったけど、

誰かの言葉、それ自体で震えなかったとしても、

その言葉を発する口の動き、表情、瞳、声のトーン、仕草、

そういうものが僕の心をいつもガンガン揺さぶるんだ。

 

で、そんな時僕は、さらにその言葉の指す事象を100%理解しようと努力するか、

ないしは理解することを諦めて、その心の振動のままにその誰かを抱きしめるか、

そのどちらかか両方かしかできなくて。

そうすると言葉って何なんだろうな、って思う。

 

 

そして、逆もまた然り、ということで。

 

僕は誰かの何気ない言葉や、何の気なしに発した一言で、

ガンガンに心が揺さぶられてしまうこともあって。

全然そんなことを意図していなかったのに、って、

後から言われて気づくのだけど。

 

ネガティブなことも、ポジティブなこともあって。

その、何の気なしの一言で誰かを殺すこともできるし、

絶望の淵から拾い上げることもできる。

なんて扱いづらい代物なんだって思うよ、言葉って。

 

だけど、僕らは、そうして誰かの言葉に救われた瞬間を、

決して忘れることができないのも事実で。

そして、僕の場合は、そうして誰かを救った瞬間も、

割と鮮明に覚えていたりするわけで。

 

だから、結論、僕は言語と対峙することをやめようとは思わない。

きっとこれからも、僕は100の事象を100で伝えることができない。

どんなに努力しても、追いかけても追いかけても、

厳然とそこに存在する事実を完璧に陳述することはできない。

 

だけど、僕が発した言葉が、

誰かの命を救うかもしれない、

世界に小さな変革をもたらすかもしれない。

それって、とてつもなく素敵なことじゃないかな。

 

そんな淡い期待を胸に、

僕は今日も、友に他愛ない話を投げ、

掌のスクリーンに指を滑らせ、

そして、キーボードをリズミカルに叩く。

 

僕は自由だ。