Somebody like me,

 

自分のことを真っすぐに愛せないことによって、

僕の人生はかなり有利なものだったと思う。

 

もちろん、喩えば世の中がAとBに大きく分断できるとして、

Aが愛せないからといってそのカウンターパートのBが必ずしも愛せるとは限らないけど、

少なくとも僕の人生では、今のところそれが成立してしまっていて。

 

僕が出会ってきた人やものは全て、僕の対極にあるものばかりで、

そういうものに対する愛情は、その起源をたどれば全部自己嫌悪だった。

自己に対する抗体が、それはそれは沢山産生されているから、

恒常的に体内に異物を入れ続けないと、たちまち全身の臓器が炎症を起こしちまう。

すなわち、僕は自分自身に対する憎しみや苛立ちや拒否感を、

誰かへの愛情に昇華して、ごまかしごまかしここまで生きてきたのだと思う。

 

そして幸運なことに、僕と同じタイプの人ってまずいないんですわ。

少なくとも僕の二十数年間の人生の中では。

その結果、ほぼ全ての人を愛することが、赦すことができたわけ。

それって滅茶苦茶ラッキーなことだと思いません?

 

ところが、先日、

遂に(厳密には過去にもあったのかもしれないけど)僕は、

僕にかなり近しい誰かに出会ってしまったのかもしれなくて。

 

ああ、参ったな、って。

僕は他の人を愛するように彼のことを愛せないって直感してしまった。

それどころか、まるで真っ暗な部屋の中で独り自分を攻撃するように、

血液中の異物にマクロファージやリソソームが反応するように、

彼を攻撃してしまったんだよ、まだ出会ったばかりだというのに。

 

友人たちは、僕が頭おかしくなっちまったんだと言って、

確かに客観的に見て、僕はだいぶ頭おかしい奴だと思う。

だけど、彼を見てるとまるで自分の中の嫌いな、生理的に受け付けない部分が、

全部具現化して、服を着て歩いて、言葉を発しているようで、

思い切りねじ伏せてしまいたい衝動に駆られてしまうんだ。

 

家に帰って、疲れ果てて僕はベッドに倒れこんで、

もう二度と彼には会わないと固く心に誓ったんだけど、

ポケットの中で震えた小さな液晶が、

彼からのメッセージの受信を告げて。

 

「今日は会ってくださってありがとうございました。

 最後ちょっとだけ微妙なテンションになりましたが、

 俺は平気なんで笑。また誘ってください。」

 

既読をつけないように気をつけて、

僕はそっとアプリケーションを閉じて、

そして深い深いため息。

 

なんなんだコイツ。

初対面のやつに、あんなひどいこと言ったのに、

こんな丁寧にライン送ってんじゃねえ。

心なしか文面に自分の影を見てしまうのも嫌だ。

 

結局、彼にはまだ返信していない。

うかうかしてるとまた攻撃してしまいそうだから。

 

決定的に違っている部分があって。

彼は僕と違って、きちんと自分のことを愛していると思う。

わからん。瞳に若干の陰りがあったのも事実だから、

単純にそう見えただけなのかもしれないけど。

 

いや、でも多分そう。

だから自分と同じ匂いがする僕のこと、

あれだけ真っすぐに見ることができたんじゃないか。

手厳しい攻撃を喰らっても、優しくできたんじゃないか。

 

とかく、あの時の僕はカッコ悪かった。

いつも身にまとっているものが全部剥がれ落ちて、

カッコ悪い本体が無防備に露出してしまった。

その点、彼はすごくカッコよかったなあ、と思う。

 

 

と、ここまで考えをまとめた今、

ああ、大丈夫だ、と思えた。

僕と彼の「決定的に違っている部分」を発見できて、

なんだかかなり穏やかな気持ちになったからだ。

「決定的に違っている部分」を愛することができると、

ほんの少し希望を持つことができたからだ。

 

なんだ、僕と彼、全然ちがっているじゃないか、ってね。

ああ、大丈夫、もう一度会ってしまっても、

きっと今日のこの気持ちを思い出せば、穏やかでいられる。

他の人たちと同じように優しい言葉を囁くことができる。

綺麗に仕立てた服を身にまとい、醜い本性を隠しきれる。

 

僕は大丈夫だ。

 

彼に返信するために手に取ったスマートフォン

一瞬だけ、液晶に映る自分と目が合う。

僕はもう一度だけ自分に言い聞かせる。

 

僕は大丈夫だ。