When I talk about love or something like that,

 
Case 1
 
彼女は、愛を確かめるのが怖いらしい。
 
昨年の早い時期に、前の彼氏から割と酷い振られ方をして。
流石に暫くは立ち直れないかなと思っていたりしたのだけど、
あっさりと新しい彼氏を作ってしまった。
 
が、彼女曰く、そこに愛があるか確かではないらしい。
 
「私たちって愛し合ってるよね」って、
言葉に出して確認してしまったら、
何かが崩れ落ちてしまいそうだから、
気づいてしまいたくない事実に気づきそうだから、だって。
 
彼女、今の彼氏をすごく愛してて。
それは、まあ見てればすごいわかるんだけど。
でもだからこそ、喩え曖昧な関係でも、
彼の隣にずっといたいって、思ってて。
 
だから、
「それって本当に付き合ってるの?」
とは、僕はどうしても聞けない。
というか、どうしても聞かない。
 
それを口にしてしまえば、
彼女と彼の関係も崩れ落ちてしまうけど、
彼女と僕の関係もきっと崩れ落ちてしまうから。
 
そしてどうしても胸が苦しくなった夜に、
僕に電話をかけてくる彼女を、
そしてそれに出てしまう自分を、
1秒だけ、赦せなくなってしまう。
 
ほんの、ほんの一瞬だけど。
 
***
 
Case 2
 
彼女は、答えが出ている問いを繰り返す。
 
これも、よくある話なんだけど、
最初から答えありきで相談を持ちかける人。
彼女はそういう類の人で。
 
どっちと付き合うべきか、とか。
別れるのがいいか、そのままダラダラするか、とか。
あるいは、パスタにするかピザにするか、とか。
 
わかりやすいくらい、結論が見えているので、
僕はその結論が最適解に見えるかのように、
議論を、話題を誘導する。
時に揺さぶりをかけつつ、でも最後に救いの手を差し伸べるように。
 
彼女、僕に相談するテイで、
結局自分がいかに恵まれているかを確認したいだけで。
自分がいかに幸せかを噛みしめたいだけで。
そういう意味じゃ僕は都合のいいサンドバッグ。
 
ただ、そういうことをしたがる人って、
本当は全く恵まれても、幸せでもなくて。
だから何とか誰かから、
恵まれてるね、幸せだねって言って欲しくて、
だから僕を呼ぶんだろうなって。
 
だから、
「本当に恵まれてるの?幸せなの?」
とは、僕はどうしても聞けない。
というか、どうしても聞かない。
 
彼女を小洒落たカフェで泣かせるのは不本意だし、
そんなことを言えば、もう会ってくれなくなる。
それはもっと不本意だから。
 
そして僕は、また、ほんの一瞬だけ、
自分への苛立ちを禁じ得ない。
 
***
 
Case 3
 
彼は、最愛の人に捨てられて、壊れてしまった。
 
心から愛していたと思うよ。
その人がいなくなった刹那、
その身が朽ち果てていくくらいに、
世界が突然色を変えてしまうくらいに、心から。
 
彼は、その人を失ってから、
あまりご飯が食べられなくなって、
薬がないと夜も眠れなくなって、
医師に止められてるのに、酒と煙の量が増えて。
 
その人がいなくなったから、
生きる目的がなくなってしまったのだと、
物憂げな目で虚空を眺めながら、
深いため息をつく。
 
僕は都合が良いので、
そんな彼の話を、うんうんと聞いて。
なんならちょっと皆の前で華を持たせて、
少しでも自尊心を回復できたらとか思ったりして。
 
彼も都合が良いので、
僕を攻撃したり、否定したりすることで、
自分の優位性を再確認してみたり、
それで少しは気持ち良くなったりしてるはず。
 
だから、
そんなに愛した人をどうしてもっと大切にしてあげられなかったの?」
とは、僕はどうしても聞けない。
というか、どうしても聞かない。
 
彼と殴り合いのケンカをする気はないし、
そんなことを言ってしまえば、
きっと僕のことを一生赦してくれないと思うから。
 
そして僕も虚空を見つめて、
なんて虚しいんだろうって、
彼とは本当の友達にはなれないなって思う。
 
彼と「は」じゃない、彼と「も」だな、とも。
 
彼、僕を友と呼んでくれたのに。
 
***
 
Case 4
 
僕は、昔から一つのものを追いかけるのが苦手だ。
 
Case 1〜Case 3の各人、
みんな傷ついてたし、辛いし、しんどいし、
だけどみんなたった1人の為に、
全てを投げ打ってるなって思う。
 
僕は、そういうの昔から(高校生くらい)苦手で、
だって、みんなみたいに壊れてしまいたくない。
この若くて重要な時間を、
たった1人にかき乱されたくないから。
 
人間周りだけでなく、その他だってそう。
何かが立ち行かなくなった時にすぐに乗り換えられるよう、
何かがダメになった時言い訳できるよう、
勉学にも課外活動にも複数勤しんだ。
 
文武両道って、僕みたいに都合の良い人間のためにあるんだと思う。
本当にその道を極める者は、二つ同時に進んだりしないもの。
 
そうして僕はどれも平均的に結果を出してきた。
ビジネスだったら完璧な戦略。
いまどの市場が崩れ落ちても、
経営がヤバくなることはないのだから。
 
だけど、最近、時々すごく退屈に思えて、
そんな自分が一番惨めに思えて。
色んなものを大切にしてきたつもりで、
全てを無碍にしてきたのかもしれない。
 
だって「大」きいものを何も「切」らずに、
全部かかえて生きてきたのだから。
 
***
 
辛くて、しんどくて、幸せな彼ら。
楽で、気持ち良くて、不幸な僕。
最後に後悔しないでいられるのはどっちかな。
 
そんな不毛なことを考えている暇はないのだけどね。