忘年会
誰かの悲しみや、痛みを理解したいと思うことは
優しさとは限らないのかもしれない。
僕は、どちらかと言えば人の些細な変化に敏感な方だと思う。
例えば彼女が、さっきからしばしばスマートフォンを気にしていること、
ほんの少し酒のペースがはやいこと、
隣に座った人の体に触れる手がいつもより切なげなこと。
多分、なんかあったな、って。
僕は割とすぐにわかってしまって。
それでも彼女は、平静を装うのが上手だから、
いつも通りニコニコしてはいるのだけど。
そんな時僕は、彼女の痛みを知りたいと思ってしまうのだけど、
そしてそういう感情をずっと、優しさだと思っていたのだけれど、
どういうわけか今夜は違っていて。
きっとそれは、優しさの皮をかぶった、
相手の痛みを利用して深い関係を築こうとする打算や、
相手の痛みを握っておきたいという支配欲や、
そういう感情に近いのだと思う。
それに気づいてしまった刹那、僕は自分の醜さに辟易する。
けれど一方で、目の前の彼女は相変わらずニコニコしていて。
彼女もまた、誰かの繊細な変化を読むのに長けているから、
ひょっとしたら、僕の今の心情も読まれているのかも。
彼女に心の中で訴える。
むやみに詮索したりしないよ。
言いたいことは言えばいいし、
言いたくないことは言わなければいいよ。
カラオケボックスの狭い部屋の中、
賑やかな音楽と、充満した酒と煙草の匂い。
僕らのそんな心情の機微なぞ知る由もない誰かが、
「今夜は朝まで飲もうぜ」と叫んだ。