赦されたい、赦したい。


おはようございます。
絶賛花粉症の新木です。
苦しい。本当に苦しい。
早く春が終わって夏が来て秋が来てもう一回冬が来て欲しいです。

僕は心から春が苦手です。

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僕らはいつも赦されたいです。
罪悪感を抱えたまま生きていくことはとても大変だから、僕らはいつでも赦されたい。
赦されるにもいろんな方法があります。
謝るというのもひとつ。これは他者を利用して赦される方法。とりあえず謝る。謝って赦されようとする。
正当化、なんていう方法もあります。これは自己解決型。やっぱり自分は間違ってない。大丈夫だ。そう考えることで赦しを求めるのです。
日本では珍しいですが、祈りもまた赦しの一形態。他者でも自己でもなく絶対神に対して赦しを求めるわけです。

赦されないとキツイです。

でも本当に一番キツイのは、誰かを、自分を、赦せないことではないでしょうか。
赦せなくて赦せなくて憤って悲しくてもう2度と笑顔にはなれないような、そういう状態。で、その怒りや悲しみの矛先の誰かはのうのうと生きていたりして益々赦せなくなる。

インターネットの海を渡れば、
誰かを赦せずに憤慨と悲哀の渦に溺れる人が沢山います。
窒息するギリギリまでそれに気づけないのだけれど。

赦すことは簡単ではないけれど、
僕は赦したい。
赦して、ヘヘヘって笑ってたい。
ニヤニヤ笑っていたい。
たとえそれで赦されなかったとしても。

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それでは、ステキな日曜日を。