勝手にレコード大賞 2019

 

今年も勝手にレコード大賞やります。

わたくしの独断と偏見で今年発表された作品の中で特に優れている楽曲を紹介します。

 

◎優秀賞 

「いてもたっても」平井堅

彼の真骨頂と言うべきポップソング。初恋は彼が何度も手掛けてきたテーマであり、シンプルな言葉を選びながらも含蓄のある詞は秀逸。さらに、昨年の楽曲とは打って変わってテクノサウンドのアレンジが新鮮で、芸術性の高いミュージックビデオも良い。総合力の高い作品。

 

◎優秀賞

「愛した日」aiko

独特のメロディライン、卓越したサウンドプロデュースもさることながら、彼女の書く鋭い詞が一番のポイント。「約束はただの約束/あの場所もただのあの場所」と、戻らない恋を回顧しつつも「平気と晴れた空にあたしは今日も上を向く」とポジティブに締める、と思いきや「昔あなたがしてたから」と添える。とにかくリアル。脱帽。

 

◎優秀賞

「ジャングルジム」BUMP OF CHICKEN

アーティスト名としてはBUMP OF CHICKENだが、この曲は藤くんの弾き語り形式。弾き語りとは思えない表現力の高さ、豊かなヴォーカライゼーションを評価し選出。6分間の長い楽曲だが、その長さを感じさせないアレンジと、メッセージ性の強い歌詞も素晴らしい。アルバム「Aurora arc」の核をなす楽曲である。

 

◎優秀賞

「優しいあの子」スピッツ

昔懐かしさとモダンさが同時に味わえる秀作。NHKの朝ドラのために書き下ろされた楽曲であり、脚本に忠実な歌詞ではあるものの、広く解釈の余情を残しており、色んな人が色んな解釈で聞くことができる楽曲であろう。サビの詞が「ルルル」であるのも新鮮。彼らの新しい代表曲になることは間違いない。

 

◎優秀賞

「Buenos Aires」IZ*ONE

彼女たちの楽曲はメロディ、ダンス、歌詞等すべてが新鮮。新しいアイドルポップの形を提示したという点でIZ*ONEの功績は大きい。中でもBuenos Airesは激しいフォーメーションダンスと逃避行をテーマとした趣のある詞、ラテン系のメロディのそれぞれが独創的で、かつ高い次元で調和しており、それを高く評価し選出した。

 

◎優秀賞

「やたらとシンクロニシティYUKI

シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)は昨今、幾度となく楽曲の題材となっており、この曲も例外ではない。ジャジーで疾走感のあるドラムスとピアノのリズムに乗せて、彼女の口から放たれる、軽快なのに一言一言がずしりと響く歌詞。「平成ではいられない/恋も時代も見据えて」…。2019年に相応しい一曲であろう。

 

★大賞

まちがいさがし菅田将暉

米津玄師は今年も素晴らしい曲を数多く発表したが、中でもこの曲はぶっちぎりであろう。もちろんこれは本人ではなく菅田将暉によって歌唱されている楽曲ではあるが、特有の哀愁漂う世界観は、米津より菅田の方が適切に表現できるであろう(もちろんセルフカバーも秀逸だが)。「変わった気がした」ではなく「変わり果てた気がした」。「まちがいさがし」の間違いの方だったかもしれないけれど、だからこそ「君」と出会えた歓びを歌う。現代を生きる全ての人に捧げたい、人間賛歌である。

 

以上。

2019年も残りわずか。駆け抜けていきます。

遠い日の記憶 Part 2

 

 瑛子ちゃんは僕の通っていた中学校で一番頭が良かった人だ。小学校の時はそうでもなかった(らしい)のだけど、中学1年生頃からメキメキと頭角を現し、塾の模擬試験では度々全九州1位なんてのをとったりしてた(らしい)。てか、最後の方は瑛子ちゃんがずっと1位だったとか。修学旅行以外で田舎から出たことないのに、英語はネイティブみたいに綺麗な音で話せるし、どんな複雑な立体図形の問題だってスルスルと解いてしまう。おまけに、スタイルが抜群に良くて、顔はそんなに可愛いわけじゃないのに(とか言ってたら怒られそうだけど)、野郎どもの間ではいつも噂の的だった。もっとも、結局3年間誰とも付き合わなかったのだけど、彼女。

 僕は、瑛子ちゃんとあんまり話したこともなかったのだけど、何となくお互いに意識?か認識はしていたのだと思う。先述の通り、英語のスクリプトを丸暗記していたが故に僕も英語の成績はかなり良かった方だし、授業でペアワークする時、たまに瑛子ちゃんと組んでたりもしたから。それでも、僕は宮島くんとかその取り巻きとか、時々井上くんとかの相手をするので忙しかったから、中学2年生の時は一緒のクラスだったけど、ゆっくり話したことなんてほぼなかったと思う。

 少し違う話なのだけど、僕は中学2年生の時に初めて彼女ができて、彼女はスミカというのだけど、僕はまあとにかくこのスミカが好きで、大好きだったんですわ。ところが12月の初めに、すごくひどいフラれ方をしまして。今考えればヤバそうなサインはいっぱいあったのだけど、僕はそれに勘づくには、そしてそこから体制を立て直すにはあまりに若くて、それで、呆気なく終わってしまった。自分でも信じられないくらい落ち込んで、夜も眠れなくなって、ご飯も食べられなくなって、体重も5kg弱落ちてゲッソリしてた。ちなみに僕はその後の人生で失恋して一度もそんな状況に立たされたことがないので、やっぱり僕にとってスミカは特別だったのだと思う。それで、流石の宮島くんも心配したのか、僕をいじめるのをやめて、代わりにタバコやお酒をくれたりした。タバコは吸って5秒で頭がクラクラしてダメで、酒は一口でひどく酔ってしまったから、全然役に立たなかったのだけど。

 で、このまま、死ぬんじゃないかってくらい、希望がない状態だった時に、放課後、もう家に帰る元気もないってくらい疲れ果てて、机に突っ伏してた時に、突然話しかけてきてくれたのが、瑛子ちゃんだった。

 「新木くん、」

 僕がのっそりと顔を上げると、瑛子ちゃんは、ゆっくりと、ひとつひとつの言葉を噛みしめるように、僕に言った、

 「女は逃げるし、男は浮気をする。お金は使えばなくなるし、名誉もいずれ失墜する。」

 僕は重たい頭で、瑛子ちゃんの言った言葉を反芻する。少し間をおいて、彼女はこう言い添えた。

 「でもね、勉強して身につけたことは、誰にも盗られないし、絶対になくならないと思うよ。私は。」

 再び、2人の間を刹那の沈黙が支配する。沈黙を破ったのは彼女。

 「新木くんは頭がいいから。勉強すればいい。勉強して勉強して、色んな知識を身につければいい。そうすれば、誰が新木くんを騙そうと、裏切ろうと、離れようと、きっとずっと楽になる。優しくなれる。だって、絶対に他人にとられないものを手に入れているんだから」

 そこまで、瑛子ちゃんは一息で、諭すように僕に話しかけて、そのまま、いつもの凛々しい足取りで教室を去っていった。

 僕は気づいたら、泣いていた。

 

***

 

 それから、僕は瑛子ちゃんの助言通り、一生懸命勉強するようになった。得意な英語や国語だけじゃなくて、苦手な数学や、歴史もきちんと勉強して、瑛子ちゃんと同じ、県でトップの進学校に進んだ。結局高校を卒業する頃には、僕と瑛子ちゃんはその高校で双璧をなすライバルになっていた。

 そして、彼女の言う通り、僕は勉強してだいぶ楽になった。それからの人生でも、色んな人が僕のもとを離れ、裏切り、騙し、色んな事があった。だけど、その都度その都度、それなりに悲しくはなるのだけど、それでも、僕はその悲しみに名前を付けることができる。その悲しみに、沢山の先人たちがどのように立ち向かってきたのかも知っている。勉強したから。だから、僕は、それでもしんどいけど、瑛子ちゃんの言う通り、楽になった。

 「なんのために勉強するのか」という問に対して、世の中には沢山の答があるけれど、僕の中では瑛子ちゃんの言ってくれた答が一番しっくりくる。「勉強して身につけたことは、誰にも盗られないし、絶対になくならないから。」中学2年生、まだ14歳だった少女は、大人にだってなかなかわからない、深遠な真実を僕に教えてくれた。

 そして、僕は今日も勉強する。

初秋の冷たい風と、古傷。

 

 僕がまだ13歳だった頃、いつも僕に意地悪をする宮島くんというクラスメイトがいて。運が良かったのか悪かったのか、2年生の時も3年生の時も同じクラスだったのだけど。彼はとかく何かを破壊することが好きな人で、いつも僕の靴や、教科書や、筆記用具や、時には美術の時間に作った陶芸品をめちゃめちゃにしていた。おかげで僕は授業の時に教材がない、なんていうのも日常茶飯事だったので、例えば英語の教科書のダイアログは全部暗記していたし、あるいは靴がない日は素足のまま下校したりしていた。宮島くん以外にも僕に意地悪をしたり、あるいは僕を上手に利用して宿題をやらせたり読書感想文を代筆させたりする人はいた。でも、一番ひどいことをするのはいつも決まって宮島くんで、問題になるのも宮島くんの行動だった。

 井上くん、というクラスメイトもいて。彼は元々小学校の時からかなり不安定な人だった。彼はすごく数学が得意だったので、勉強についていけなくて不安定だったわけではないのだけど、あまり気が強い方ではなくて、それを他の友達からからかわれていたりしたのは確かだ。でね、彼は2年生の夏休み明けから学校に来なくなってしまった。僕は、井上くんと特に親しくしていたわけではなかったのだけど、宮島くんはじめ素行不良のクラスメイトの板書をとりがてら(僕の板書を見ながら試験前にきちんと勉強するのだから、彼らは本当は真面目な人たちだったのだと思う)、彼の分の授業ノートもまとめていた。

 ある11月の、風がとても冷たかった日の放課後、僕がいつものように教室でせっせと作業をしていると、午後の授業をサボってどこかに消えていた宮島くんが突然教室に現れて、いつものように僕のもとに、暴力団が恐喝をするかのような姿勢でやってきた。しばらく、僕にヘッドロックをかけたり、僕の使っていた下敷きに品性下劣な落書きをして楽しんだ後、宮島くんは僕がまとめていた板書が、明らかに宮島くんや宮島くんの取り巻きの人たちのものでないことに気づいた。

 「これ、井上の分やろ?」

 「…、そうやね。いつも、先生に頼んで持ってってもらっちょんけん」

 「そうなんや。あいつ、もうしばらく学校来てないけんなあ。」

 2人はなんとなく沈黙して、しばらく虚空を眺めていたのだけど、だんだんとその沈黙に耐えられなくなってしまった僕は、

 「…、宮島くんも来たり来なかったりやけどね」

 と宮島くんを挑発し、すると彼は、

 「お前、もう一回同じこと言ってみ?」

 と言って、また僕を羽交い絞めにして、その後で、僕の筆箱の中身をまき散らしながら「じゃあまたな」と言って帰ってしまった。

 宮島くん、井上くんが学校に来てないことも、僕が彼のために板書をとっていたことも知っていたのかもしれない。宮島くんと全然関わりがないと思っていたのに、事実、全く話している姿を見たことないのに、井上くんのことをきちんと認識していたのかもしれない、と思った。いや確実にそうだ。だって、宮島くん、僕の机の中を荒らすときも、僕の教科書やらノートやらは容赦なくぐちゃぐちゃにするけど、いつも井上くんの板書だけは無事だったから。不自然なくらい、井上くんの板書はいつも無傷だった。

 宮島くんは、そういう男だった。

 結局、井上くんは3年生になっても学校に来なかったし、宮島くんは3年生になっても僕に意地悪をし続けた。先生に注意されても、怒られても、人間的にダメだと生徒会長やら学級委員に罵倒されても、それでも。人間て、そんな簡単に変われないものだと思う。中学生のような変化著しい時期でさえそうなのだから、大人になってから変わるなんてもっとずっと大変だ。

 宮島くんみたいに、常に誰かを攻撃していないと生きていけない人って、実は結構いる。そういう人たちに、いじめはダメですよとか、周りの人を大切にとか言っても、仕方ないのかもしれない。でも彼みたいに、弱い人間には決して手を出さず、多少攻撃しても大丈夫な、一見弱そうだけど、その実しなやかな人間を上手に使って、自分の攻撃性に折り合いをつけることができれば、きっとみんなマシな生活になると思う(もちろん、某生徒会長や某学級委員みたいに正義感を振りかざす人たちもいるのだけど)。そのためだったら、僕、なんでもするよ、なんでもされるよ、って思う。そのために僕みたいなのがいるんだと思う。宮島くんは一撃でそういうのを見抜ける人だった。僕にしても、井上くんにしても。多分。

 いつか、宮島くんが鋭い爪で僕をひっかいた時に、僕の右手の甲に深い傷ができて、今もその傷が残っているのだけど、その傷を見るたびに、僕は彼を思い出す。彼と、彼がいつも気にしていた井上くんを思い出す。ちょうど今日はあの日の放課後と同じ、冷たい風が吹いている。

You don't have to be afraid of wording,

 

人間は、抽象化という営みから逃れられないということは、

繰り返し論じている(つもり)なのだけれども、

最近さらにその思考が暴走してしまって、

何か言葉を発するたびに、それは抽象化なのではないかと、

ビクビクしてしまっている自分がいる。

 

手垢のついた議論ではあるのだけれども、

夥しい連続的な世界に対して、

限られた不連続な言葉をあてはめて、

僕らはコミュニケーションをしているわけで、

言葉と世界を1対1対応させることは原理的に不可能。

 

例えば、今日の空が青かったとして、

「昨日の空も青かった」と言ったとして、

言葉の上では今日の空と昨日の空の色が同一だという話になるのだけれど、

「青」という言葉の指示する範疇に2つの色が存在していただけで会って、

本当に2つの空の色が一致していたかどうかはわからない。

 

にもかかわらず、空の色を「青」と表してしまった段階で、

僕らは無意識のうちに2つの異なる色を同質のものとみなしてしまう。

それって、抽象化以外のナニモノでもないのではないか?

 

この話って他にも色々なものに当てはめることができるのだけど、

何か事象が存在している時に、それに言葉を与えている時点で、

もうそれは抽象化になってしまうと思う。

 

もちろん、ありとあらゆる言葉を組み合わせることによって、

限りなく1対1対応の言葉を生み出すことは可能なのかもしれないけれど、

それでも、そこに厳然と存在する事実に肉薄することは、

少なくとも現時点では原理的に不可能なのではないか?と思う。

 

そんな話をすると、最早口から音声を発することさえ憚られるようになって、

困ったなあ、と思っているのだけれども、

不必要に言語化することを恐れる必要もないのかなあ、とも思う。

 

結局のところ、ヒトは抽象化という営みから逃れられないわけで、

だとしたら無理に抽象化から逃れようと苦しむよりも、

ある種諦めて、その拘束の中で事実に肉薄する手段を模索する方が、

よっぽど生産的なのではないかな、と思うから。

 

言葉を信頼しすぎてはダメかもしれないけど、

いつも、ほんの少しの不信感と諦めを胸に秘めて、

言葉を発し続けていけば、それでいいんじゃないかなあ。

僕らは人間なのだもの。

Too much

 

遠く離れている時でも、

何となーく心と心が繋がっているような気がして。

あ、ダメだ、って思う。

これ以上踏み込んではいけねーな、って。

 

僕はすごく臆病なので、

誰かに支配されてしまうことがすごく怖くて。

深く深く繋がること、それ自体はまあ致し方ないことだけど、

帰結として、そいつに心のシェアを侵食されると困るんだ。

 

僕の頭の中には常に沢山の人がいて、

そいつらが絶妙なバランスでマージしているからこそ、

僕は日々、安定して生きていくことができていて。

まあ、なんて不安定な安定なんだろうって思うけど。

 

けれど、時々強烈な誰かがむくむくと僕の中に現れて、

そんな大切な人たちのシェアを侵食していってしまう。

あっという間にトップティアに昇格して、

市場はもはや寡占状態のモノカルチャー経済。

 

そうすると、危ないな、って思うので、

そういう兆候が見られた瞬間に、

僕の脳内市場からは撤退していただいております。

まだまだ成熟してない市場だからね。

 

添加物フリーの貴女

 

いつものように、匿名性の高いオンラインの海を漂って、

いま気になる誰かさんのSNSを遡りながら、

言葉ってなんて便利で、面倒なんだろうって思う。

 

表情とか、空気とか、そういうのってものすごく読みやすい。

いま相手がハッピーなのか、悲しいのか、怒ってるのか。

たとえ言葉に騙されそうになったとしても、

そのトーン、声色、間のとり方で本心が見えたりする。

 

だけど、テクストメッセージは完全に難しくて。

特に僕をはるかに凌駕するsympathyのスキルを持つ人たちは。

可愛らしい絵文字やスタンプに惑わされる。

本心が見えにくくなる。

 

さらに、最近さらに厄介なのは写真。

色とりどりのフィルターを使って、

着色料も防腐剤もたっぷりの不健康な写真が並ぶタイムライン。

そこには表情も空気もなかったりするから、さ。

 

ダメダメな僕は、そこで考え始めてしまう。

絵文字やらスタンプやらの意味を考えたり、

フィルターの向こうの素顔を見抜こうとしたり、

立ち止まって、必死に。本質を見抜こうとしてしまう。

 

けれど、最近、思うようになったんだ。

そのテクストに騙されてみるのもまた一興なのかも、って。

掌で躍らせようと、彼女が思っているのであれば、

踊って差し上げようではないですか、ってね。

 

着色料も防腐剤もたっぷりの不健康な写真も、

たまにはそのまま口の中に入れてしまっていいのかも、ってね。

 

依然としてそれは簡単ではないのだけれど。

愛してる、

 

僕の友人には、すごく強い人がいます。

すごく頭が良くて、体も強くて、

いつも喧嘩をふっかけたり、ふっかけられたりして、

それで、勝って、すごいなあって、思います。

 

僕は弱い人間なので、ふっかけられても、

割とすぐに折れたり、謝ったりして、

「張り合いがないなあ」なんて言われたりもするけど、

でも、なんだか、僕はよくわからないんです。

そして気づいてしまったんです。

彼ら彼女らは強いけど、それと同時に脆いことに。

強いけど、脆くて儚いから、

いつも自分が強いことを確認する手立てが欲しいことに。

 

僕は、弱いけど、しなやかな人間かもしれません。

確固たる、と言っては強すぎるかもしれないけど、

厳然たる自己を持ち合わせているつもりで、

それを幾度となく確かめる必要を感じていないので。

 

けれど、その事実に気づいてしまった瞬間、

僕は今まで彼ら彼女らを尊敬していたつもりで、

実はすごくすごく見下していたのではないかと、

そう思ってしまったのです。

 

僕がでしゃばらないのは、折れるのは、穏やかなのは、

弱さゆえの優しさでも、謙虚さでもなんでもなくて、

ただ周りのことを見下しているからなのかもしれない、

って、そう思ってしまったのです。

 

だとしたら、本当に厄介なのは、僕なのかもしれない。

常に強さを誇示するマウンティング軍団なんかより、

僕の方がよっぽどたちが悪い人間なのかもしれない。

そんな風に考えたりします。

 

けれど、僕、彼らを愛してる、って思います。

脆い彼らを抱きしめて、愛を伝えたい。

たとえ、その源泉が憐みだったとしても。

これが愛ではなく、愛に似た何か別のものだったとしても。