旧友

 

ちあきちゃんは僕が大学1年生だった頃の友人だ。

昔は良くいろんな話をしていたけれど、

大学3年生に上がった時に学部がわかれてしまってから、

僕らはめっきり話をしなくなってしまった。

 

ちあきちゃんは詩人であり、歌人だ。

お腹の奥底にはいつも夥しい言葉が溢れかえっている

彼女はいつも何かにイライラしている

彼女はいつも何かを愛している

 

僕はちあきちゃんが羨ましかった

好きなもの、嫌いなもの、きれいなもの、醜いもの、

ちあきちゃんはいつも何でも言いたいことを言っていた

書きたい詩を書いていた。

 

僕もかつて詩人だったけど、ちあきちゃんにはなれなかった。

自分が愛するものを愛していると言うことが怖かった。

おかしいと思っているものをおかしいと言う勇気がなかった。

大人になればなるほど、その恐怖は大きくなった。

 

ちあきちゃんは反対に、次々と作品を発表していった。

身の周りのことを飛び越えて、社会や、歴史や、教育や、

色々な問題を背景にした詩をどんどん詠んだ。

大人になればなるほど、その言葉は豊かになった。

 

僕はどうかといえば、詩が書けなくなった。

鋭い言葉が出てこなくなった。

もっとも、その代わりにエントリーシートや、

退屈なスピーチの原稿を書くのは上手になったのだけれど。

 

そして僕は、夜な夜な彼女のブログを訪れるようになった。

嫉妬と軽蔑と諦観と果てしない歓びが入り乱れた感情を抱え、

真っ暗な部屋の中ひとり、湿った人差し指の先でスワイプする。

何度も、何度も、スワイプする。

 

僕はやっぱり貴女が羨ましかった。

何になるんだとバカにしてごめんね。

やってもいないのに、仕方ないよと言ってごめんね。

僕の方は随分と退屈な大人になってしまったよ。

 

ちあきちゃんの言葉は世界を変えることはできない。

深刻な問題を解決することはできない。

それでも、一瞬一瞬誰かの心の深いところに届いて、

その誰か揺さぶり続けているのだと思う。

 

それだけで十分だったのになあ。

なんで、18歳の頃の僕はそれに気づけなかったのだろう。